堪忍袋の緒が切れる。
「俺をなめるな」 高慢な言い草が逆鱗に触れる。 レンズの奥、怜悧な知性を帯びた切れ長の目に動揺の波紋が広がる。 低く剣呑な声で威圧すれば、触れ合う部位からかすかな震えが伝わる。 今だ。 素早く体を入れ替え組み敷く。 貢の奥で荒々しい獣性が目覚める。 今まで必死に抑制してきた男の本能、抑圧してきた雄の欲望に憤怒の火が点く。 腰にのられ好き放題いじくりまわされ醜態を演じ、武士の矜持に泥を塗られた。 辱められた腹立ちが暴発し、直の華奢な肩を押し倒し、剣で鍛えた膂力に利して布団に縫いとめる。 無抵抗に倒れこみ、布団と接触した拍子に眼鏡が鼻梁にずりおちる。 背中から倒れこんだ直にのしかかり、形よい耳朶に口をつけ、獣じみて荒い息を吐く。 「いつまでもされるがままとおもうな」 直の舌使いによって勃起した男根が外気に晒され敏感にひくつく。 口腔の熱い温度と潤いの感触に同化した肉棒は、粘着な唾液に塗れ淫猥に濡れ光り、先端から透明な汁を分泌する。 技巧を凝らした舌使いにより、外気に晒されただけで反応するほど過敏に仕上げられたそれは、下腹の翳りから勇猛に屹立する。 「犯る気になったか?」 相変わらず人を食った顔と口調で直が言う。 挑発的な眼光と皮肉な笑みの取り合わせがぞくりとする色香を醸し、脊髄が官能に震える。 これは、俺の望んだことではない。こんなつもりで、直を拾ったわけではない。 ただ俺は。そぼ降る雨の中、ダンボール箱に捨て置かれた子猫に、情にほだされ手をさしのべただけだ。 家に連れ帰り、佃煮をふるまって。 風呂に入れ、布団を敷き。 人に懐かぬ猫だった。 気位の高い猫だった。 ツンと取り澄まし、しっぽをたれ、観察するような無感動な目でしずかにこちらを見詰めていた。 人慣れぬ猫に愛着を感じた。 身の内に飼う孤独が共鳴した。 人を敬遠し敬遠され、意地でも孤高を貫き通す直が愛しかった。 拾った猫におのれを投影していた。 行儀よく佃煮をつまむ姿は微笑ましく、風呂をいやがり暴れる様はたいそう滑稽で、一緒にすごす時間が長引くほど愛着が増した。 貢は孤独だった。 自分が孤独であると、それがわからないほど長く孤独と折り合ってきた。 無味乾燥に片付いた殺風景な部屋。 ちゃぶ台と冷蔵庫、箪笥があるきりの、寂とした隠居の住まい。 訪ねる友人知人もなく、道場と往復する以外出かける用もなく、褪せた天井からぶら下がる豆電球の下、手慰みに俳句をひねり経を読むごとに寂寞とした感情が募った。 貢は人と触れ合うのが不器用だ。 苗に想いを打ち明けることもできず、思春期に入ると身分差を意識し、自然と距離をとってしまった。 不甲斐ない。意気地がない。情けない。俺は、武士の風上にもおけん。こんな惰弱な心、武士にふさわしくない。 心のどこかで虚しさを感じていた。武士の理想に近付けぬ自身の弱さを恥じて憎んでいた。 俺の心は、どうしてこうも揺れやすい。 無愛想無表情で近寄りがたい印象の貢だが、その心は存外脆く、些細なきっかけで感情の堰が決壊しそうになる。 今も。 押し倒した直を至近で見詰め、貢はみっともなく狼狽していた。 異常に喉が渇く。口の中が干上がっていく。 直はひどく落ち着き払ってこちらを見上げている。 相変わらず冷ややかな無表情で、傲然たる自信を漂わせ、冷徹な観察者の視線で反応を探っている。 貢は服をはだけ、鍛え抜かれた上半身を晒している。 細身だが柳の鞭のように引き締まった体。 直の肩を戒める鉤手には、殺気じみた握力がこもっている。 「どうするんだ?」 抑揚なく、直が聞く。 頭に生えた耳の片方を動かし、酷薄に目を細める。 「代替品にするのか。抱けない異性の代わりに、性交するのか」 自分で「抱け」と命令したくせに、その声は、懐疑と嫌悪を孕んでいた。 「ちがう」 苗の身代わりに直を抱くのは、どちらにも無礼にあたる。 断固として首を振る貢をいぶかしげに見上げる。 長い睫毛が縁取る切れ長の目が、薄墨に一滴水を落としたような不審の色を浮かべる。 自身の心臓の鼓動が鼓膜に反響する。 体内を巡る血流が勢いを増し、直の肩を抱く手が悩ましく火照る。 「俺は、お前を抱く」 口に出した途端、急激に膨れ上がった欲望を自覚する。 苗の、だれかの身代わりとしてではない。 貢は他の誰でもない、目の前のこの少年に劣情を催していた。 風呂で目撃した裸身が網膜に焼き付き、残像が理性を苛む。 貧弱に薄い胸板も、上品な鎖骨の窪みも、体の表面をゆるやかに伝う水滴も。 濡れそぼって額に纏わる黒髪も、湯浴みで上気した目尻も、秀麗な鼻筋も、繊細に尖った顎も。 湯船で膝突き合う距離にいた直の裸身が頭にこびりつき、振り払おうとすればするほどつきまとい、貢が修行の邪魔と奥底に蓋をして抑え続けてきた雄の欲望を炙りたてる。 直の存在自体が、毒だ。 もともと色事には淡白な貢さえも、手と口の技巧を駆使した大胆な誘惑にはかたなしだった。 この感情をどう説明したらいい。 溶岩のようにうねり荒れ狂う、激情を。 苗への優しい慕情とはちがう、目の前の少年を組み敷いて犯したいという強烈な征服と陵辱の衝動を、なんと呼べばいい。 「俺はつまらん男だ」 しぼりだすような独白に、ばらけた前髪の向こうで、直が問いたげな目を向ける。 「口下手で空気も読めん無粋な男だ。ろくに友もいない。もちろん、恋人もいない。物心ついた頃から剣の道一筋に生きてきて、他に誇れるものもない。……今も。どうすればお前を楽しませることができるか、見当がつかん」 「楽しませるだと?」 虚を衝かれた直に律儀に頷き、生白い頬にそっと手を添え、ぎこちなくさする。 どうしようもなく不器用だが、限りない優しさの伝わる手つき。 「お前を拾ったとき。生き物を飼う資格があるのかと、自問自答した。無粋な男の独り暮らしで、仮に連れ帰っても、不自由な思いをさせるかもしれん。もっと他に、俺の後に通りかかった人間が拾ってくれるのではないかと……そう思った。こんな面白みのない男に拾われて、猫も迷惑するだろうと」 貢の手は骨ばっていた。 物心付いた頃より剣を握り続けた手は節くれだち、本来柔らかいはずの掌は鞣革に変化し、深々と刀傷が穿たれている。 繊細さのかけらもない手。 人に触れようとすれば、忌避される手だ。 しかしその手は、これまで彼を拾った誰より誠実に、直の頬をさする。 疵だらけの無骨な指から染みる体温が、凍えた体をあたためていく。 「だが、拾ってしまった」 冷えた頬を手で包み、切実な心情を吐露する。 「冷たい雨の中に、どうしても捨て置けず」 どうしても、黙って通り過ぎることができなかった。見ないふりで歩み去ることができなかった。 あの必死な鳴き声が、貢の心の奥、どれだけ鍛え上げても変わらぬ惰弱な本質に触れたのだ。 あの時、無視できなかった己の弱さが今の事態を招いたのなら。 貢には、最後まで直の面倒を見る義務がある。 「…………眼鏡は、とらないのか」 「これがないと見えない」 「そうか」 短い応酬の後、唇を奪う。 突然の行為に直が目を見開くも、反射的に跳ね上がった両手首を掴み、布団に押さえ込み、ますます深く口付ける。 舌がもつれる激しさに前歯がかちあう。絡んだ舌から二人分の唾液がまじりあう。 手加減など、できるわけがない。そもそも手加減のしかたなど知らない。 性急な接吻で酸素を奪い、舌で口腔を蹂躙する。 唾液で潤った口腔をかきまぜこね回し、歯列をたどり、上下前後左右奥まで貪り尽くす。 「ふっ、ぁ、ぅく」 直が目を潤ませ切なく喘ぐ。 無表情が崩れ、苦痛と恍惚が綯い交ぜとなった陶酔の表情が覗く。 猫耳がピクンと跳ね、尻からはえたしっぽが敏感に逆立ち、さかんに布団を掻く。 「……こ、の……低脳、めっ……そんなふうに、したら、息が吸えない、じゃないか……僕を窒息死させたいのか?屍姦が趣味か?」 荒い呼吸の狭間から、切れ切れに憎まれ口を叩く。 酸欠に陥る寸前、舌を抜く。 唾液の糸で繋がった直を見下ろし、手の甲で顎を拭いがてら謝罪する。 「すまん。我を忘れた」 なにか言い返そうと口を開きかけ、諦めて閉じる。 憮然と押し黙る直の顔は淫蕩に上気し、苦しげな呼吸に合わせ浮沈する肩の頼りなさが、征服欲をかきたてる。 「……本当に不器用だな。歯があたったぞ。口の中が切れたらどうする?口内炎ができたらなめてなおしてもらう」 不満を言いつつ腕をさしだし貢にすがりつく。 静謐な闇に包まれた部屋の中、一枚の布団の上で、半裸の直と密着する。 皮膚の体温が交わり、心臓の鼓動がひとつに溶けていく。 他人の胸に耳を傾け聴く鼓動が安心感を与えるものだと初めて知った。 人肌触れ合うぬくもりは決して不快じゃない。 一方的に責め立てられた時は屈辱感と嫌悪感が勝っていたが、自分が主導権を握ってみれば高揚感と快感がより勝る。 「辛いならはやくいれたらどうだ。外で射精してしまうぞ」 貢の変調を見抜いたか、直が指摘する。 「慣らすのが先だ」 「なに?」 直にかかる負担を懸念し、慎重な手つきで肩を遠ざけ、下へと移動する。 「……俺ばかりよくなっては、面目が立たん」 直は言葉を失い、自分の下腹へと顔を埋める男を凝視する。 今まで拾い主のだれも、そこまで気遣ってはくれなかった。 誰もが代替品の性処理道具として直を抱き、自分の欲望を満たすのにだけ夢中になり、抱かれる側の負担など一切顧みなかった。ろくに慣らしもせず、閉じた窄まりに強引に突き入れられ、苦痛の呻きを上げた事も一度や二度じゃない。 直は常に奉仕する側、相手は常に快楽を享受する側。 中にはわざと乱暴に抱くものもいたが、諾々と受け入れてきた。 その事にこれまで疑問を持たなかった。不満もなかった。 拾い主への最大の恩返しが性行為なら、直はためらわず、体をさしだす。 「……余計な事はしなくていい。僕などどうなっても構わない、これは僕の義務だから。君は一方的に欲望を満たせばいい、心配しなくても男を受け入れるのには慣れ」 「俺が嫌だ」 ひたむきな眼差しで願う。 「肌を重ねる相手とは心も通い合わせたい。……お前に不要な痛みを与えたくない。他の拾い主のことは知らん。これまでお前がどう扱われてきたのかも、知らん。だが、俺は」 目を閉じ、風呂場での一件を反芻する。 直をあそこまで過激な行為に走らせるに至った経緯を想像し、胸中に苦汁が込み上げる。 「……お前にも。俺が感じたように感じてもらいたい」 どもりがちに告白し、含羞に頬を染める。 直はあっけにとられた風情で貢を見返していたが、唐突にその顔が歪み、崩れ、なんとも形容しがたい表情になる。 泣けばいいのか笑えばいいのか判断できず、そのどちらをも選択したような、心もとない顔。 「馬鹿だな、君は」 「馬鹿で結構」 毒気の抜けた直の独白に照れ隠しの仏頂面を作り、その下腹に顔を埋め、ややためらいがちに性器を口に含む。 「ー!!ぃ、ぁ」 切ない声を発し、直がのけぞる。 性器を口に含むのはもちろん初めてだが、直も同じ事をしたのだと思えば、不思議と抵抗はなかった。 細い腰を抱き、もう片方の手を根元に添え、含んだ性器にぎこちなく舌を絡める。 見よう見まね、直のテクニックには及ぶべくもないが、少しでも気持ちよくさせたい一心で舐め上げる。 「………っ………ぁ、ふ……あ………」 直が切なく声を漏らす。 貢の口腔は蕩けそうに熱く、不器用な舌使いは微妙にツボをそれていたが、そのもどかしさがかえって性感を煽り、額に汗が滲む。 悩ましげに眉間に皺を刻み、きつく目を閉じ、貢の舌に弄ばれ徐徐に硬度を増していく体の中心に全神経を集中する。 貢の肩に指を食い込ませ、首を振り、ちりちりと皮膚が毛羽立つ熱に炙られ朦朧と呟く。 「口は消化管の最前端、食物を取り入れる部分であり、食物を分断し、把持し、取り込むための構造が備わっていると同時に、鼻腔と並んで呼吸器の末端ともなる……っあ、ふく……人を代表する地上脊椎動物に限らず、消化器官系の初端であり、栄養素摂取等に用いられる。多く動物の口には付属器官があり、舌や歯、外分泌器等を備え、歯による咀嚼の様な食餌の補助に限らず、外敵に対抗し身を守る手段として利用され、ぅ……」 語尾が上擦り、途切れ、腰が浮く。 「敏感だな」 口の中で転がしつつからかえば、理性に逆らう腰の動きから顔を背け、くぐもる声で直が言う。 「じれっ、たいんだ、貴様は。性感帯を逸れている。僕が感じるのはもっと下の……」 まだるっこしい刺激に腰を揺する直を制し、窄めた舌先で尿道をくすぐる。 技巧は直に劣るが、その稚拙で緩慢な舌使いは、尿意にも似た排泄の感覚を下腹に生じさせる。 猫耳の先端が小刻みに動き、感電したように毛羽立つしっぽが、貢の腕に巻き付く。 熱く蕩けた口腔が性器を包み、舌が尿道をくすぐり、唾液で浸す。 自身が吐く息で眼鏡のレンズが曇り、生理的な涙で視界がぼやけていく。 貢の肩を掴む手に無意識に力がこもり、腰の動きが速くなり、そしてー…… 「ふあ、ぅくっ……あっ、あ、ああっ!!」 理性が爆ぜる。 硬直、弛緩。 不器用な舌使い。技巧もなにもあったものじゃない。 ただただ必死で、ただただ誠実で。常に奉仕する側だった直は、こんなふうに男に奉仕された事など一度もなかった。 辱めるためでも嬲るためでもなく、貢は直にも自分が味わったのと同じ快楽を分け与えんとしたのだ。 射精の寸前、口から性器を引き抜いたせいで、直の下腹と太股には白濁が飛び散っていた。 既に困憊の色濃く、布団に顔を倒して息を吐く直。 しどけなく横たえた体に滴る白濁が倒錯的で、生唾を嚥下する。 下腹に飛んだ白濁をすくいとり、指の間で糸引かせ、双丘の間へと忍ばせる。 「………大丈夫か?」 「気に、するな。僕が出したものを……潤滑油にして……慣らすんだ」 ここまできてやめられない。 強い決意を宿した目で促す直。 貢はひとつ頷き、ぬれそぼつ手を双丘の間に沈め、窄まりを探り当てる。 「!んっ………」 初めて触れたそこはきつく閉じ、指を拒む。 少しためらうも、意を決し、指をねじこむ。 最初の圧迫を通過すれば、潤滑油を塗布した指はずるりと奥へすべりこみ、内壁の収縮をじかに感じる。 「きついか」 案じる貢の耳朶に、熱い吐息がかかる。 「足りない」 片腕を貢の首に回し、布団に半身を起こした直が、ずれたレンズの向こうから濡れた瞳を向けてくる。 理性と本能が葛藤する瞳の激しさに撃ち抜かれ、貢は息を呑む。 「聞こえなかったか?指一本じゃ足りないと言ってるんだ……もっと……」 体を動かすたび内に咥えこんだ指の角度が変わるのか、前立腺には届かぬ刺激にもどかしく腰を揺すり、貢を抱擁する。 人外の証の猫耳としっぽをきゅっと伏せ、降参と服従を示し、貢の裸の胸にすべてを委ねる。 「君が欲しい」 人間に好意をもつのは生まれてはじめてだった。 |
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